近代史と東洋思想の思い出

中田敦彦の Youtube 大学と Netflix フルカラーの第二次世界大戦をみたりしたのをきっかけに(卒論の現実逃避と合間って)東洋思想とか近代史について考える時間が増えた。この間まで未来の AI 時代のことばかり考えていて、今度は過去に目が向いたというわけだ。僕のどうでもいい子どもの頃の思い出と共に近代史, 東洋思想について振り返り、今考えたことに繋げる。

近代史からの危機感

明治維新から現代にかけての近代史が僕は特別好きだ。学校では諸般の都合にて、あまり教えられないが、近代史は現代に接続することができる点がとても面白い。歴史を現代から遡って教える試みがあると聞くが、そんな子どもが羨ましい。小学生の頃ピラミットとか古墳とか言われてもさっぱり興味を持てなかったからだ。

歴史に興味を持ったのは小学五年生の頃。当時家庭で色々あったり、担任の先生がよくしてくれたり、尊敬する友達を持ったりで、色々なことが重なる考える時期だったと思う。 少し早い中二病というやつだ。母親の ibook でインターネットにアクセスするようになったのもこの頃だった。

小5僕は右翼的な思想に染まりかけていた。チベット動乱があり、罪もない人間が暴力に晒されるのをみて激しい怒りを感じたからだ。学校の授業で、気になるニュースを取り上げるというのがあり、僕はこのチベット動乱を題材に、中国人が嫌いだとみんなの前で発表した。担任は僕がこの事案に興味を持ったことを褒めてくれたが、「中国政府と中国人を同一視してはいけないよ、それはとても危険な考えだからね」とたしなめられたのを覚えている。

同時期、修学旅行で原爆ドームにいったり、語り部から話を聞いたりして、僕はなぜ戦争は起こるのだろうとずっと気になっていた。そこで身近な人間からも話を聞こうと、祖父やその親戚に聞いてみた。そこで曽祖父の墓参りや親戚を尋ねようとのことで、祖父の故郷に調べにいった。

そこは四国の山奥の小さな村、ここで僕の祖先はずっと暮らしており、百姓をしていたらしい。そこそこ裕福な時期もあったが、浪費家がおり金がなくなったという。そのせいもあってか曽祖父は陸軍に入隊した。赤紙で召集されるタイプではなく、下士官というやつだ。時代は昭和初期、支那派遣軍として日中戦争に出兵したらしい。最終階級は曹長だったそうだから、当時は軍曹あたりだろうか。つまり南京事件の当事者であった可能性があるということがわかった。戦死はせず、太平洋戦争の頃は村で竹槍訓練の教官をしていたそうだ。戦争についてあまり話さなかったのか、詳しいことはわからなかったが、曽祖父はどうやら人殺しをしたようだった。

これを知って、色々考えた。太平洋戦争もたかだか 60 年前のことだけど日本はとても豊かで平和だ。一方、中国だけでなく、湾岸戦争、アフリカや中東の内戦など、戦争や不平等は世界各地に起こっていた。どうすればいいか全くわからない。頭も悪いし、スポーツもできないから誰の役にも立てそうもない、家庭のことなどもあって、自分はいったいどうして生まれてきたのか、そもそも必要ないのなら、生まれてこなければよかったのにと思うこともあった。

今思えば思春期の微笑ましい中二病だけれども、危機感を感じていたことは覚えている。これを受けて、子どもがそんなこと考えなくていいのにとは今でもまったく思わない。甘やかしが氾濫する楽観が戦争を呼ぶと考えているからだ。10年経って状況はますます悪くなった。まさに今動乱の幕開けの時代かもしれない。

とはいえ、暮らしの豊かさという意味では常に上向きではあると思う(ファクトフルネス)。その歴史の螺旋に戦争・崩壊・革命があるか、無いかの違いがあるのだろう。無いほうがいいのでそうありたい。これが今のところの歴史観である。

東洋思想への傾倒

書道教室に小学1年から9年間通っていた。その教室は、どちらかというと大人が多い教室で 60 過ぎの男性一人でやっていた。40頃脱サラして書道家を志し、それなりに作品も値段がつき個展を開いたりしていた。(個展を手伝いに行って孫によく勘違いされていた)旧家の家だったので、不動産収入もあるらしく、かなり高価な道具を取り揃えていた。

僕は書道になんの情熱もなかったので一枚書いてはだらだら先生と話をしていた。実質上、先生や他の弟子と雑談をしにいく時間だった。先生は中庸な人物で、僕が時事問題とかの適当な質問をすると、漢字の成り立ちや意味、中国の歴史や思想みたいな話に繋げて最後の結論は偏りなく中庸なはっきりしない答えをくれた。

戦争の話をふってみたこともあるし、天皇制や政治の話など今思えばセンシティブな内容を無邪気に話していた。僕にとっては先生が出会った大人の中で、最も思慮深い人物だったと思う。先生は未熟な僕の意見を否定せず、賢いと褒めてくれた。学校では勉強ができないし、体育も苦手だったので学校では認めらなかったので、ここで褒められるのは特別嬉しかった。多分それが書道を大して好きでもないのに 9 年間続けた理由だろう。

この教室では高校からは、師範の資格を取る勉強にシフトする。僕はもう高校生だし、資格を取るのにもお金がかかるしということで、教室を辞めることにした。先生からすれば小1から知ってる生徒なので孫のように思ってくれていたのか何度も引き止められた。寂しいとも言っていた。僕は他人に感謝するとかお祝いするとかが苦手なのできっと、淡白に教室を去ったのだと思う。

これらを通して誰かだけが一方的に正しいわけでもないし、世の中は複雑で多様。過去のことは事実すらあやふやだったりする。物事に白黒はっきりつく方が珍しいのだろうなと考えるようになった。先生の影響なのかもしれない。中庸な姿勢をとることは今でも大切に思っている。全然できてないけど。

シリコンバレーのハッカーイデオロギー

もう一つ大学生になってからだが、傾倒したものもある。それはインターネットのプログラマーを中心にして広がっているシリコンバレーのハッカーイデオロギーだ。これも仏教や道教を元にした、ヒッピー文化からきているので東洋思想と言えば、それまではある。オープンソース、オープンWebなどの自由は善、支配は悪、問題解決者たれ、みたいなイデオロギーである。これに強く憧れるのも東洋思想を気に入っているからかもしれない。

考えたこと

こうした近代の屍の上での平和を満喫している罪悪感と、いつ屍になるとしても受け入れるしかないだろうという危機感の中で、何か信じるものが欲しかった。ここに東洋思想に傾倒することが収まりが良かったのだろう。この傾倒がなければ、今頃愛媛で薄っぺらいネトウヨになっていた可能性は十分にあったと思う。

ネトウヨのように不都合な事実や世の中の複雑さから目を逸らし、聴き心地のよい主張を鵜呑みにして、嘘と陰謀を撒き散らしてしまうのも無為自然なことだと思う。うまくいかないことを他人のせいにしたくなる気持ちもわかる。何か崇高ものと同一化して自分はすごいのだと誇りを持つのも、精神の安定には役に立つ。そんなふうでもいきていけるから。 だけれど、いつまでも危機感がなく呑気してるとツケはあとで回ってくるということを忘れてはいけない。そうした楽観が戦争や崩壊、革命へと次第に繋がっていくのは何度も歴史が証明してるのだから。 もちろん絵空事の平等や革命に一足飛びでいこうとすることも本質的には同じことだ。

これを回避するための提案として、いつも言ってるが 一人ひとりが何をやるべきかは自分で決め、自由になる。社会はそれを受け入れ可能な自由な基盤を整備するというのが一つある。

だけどそう易々とは行かないだろう。 次の戦争は国家や民族の戦争ではなくて、権力や支配、搾取の独裁との戦争になるのかもしれないと思い始めている。今のところ、独裁側が優勢だ。

賢くないし、怠惰で人間としても未熟な僕だけれども、運が良かったり施しを受けた分、きちんと返さなければとも思う。なんというか、そんな気分で集団に尽くすくらいが中庸なんじゃないか。

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